Leica M11-PとM11-Dが気になってしかたがない。
Leica Q2ラブなので、M型は気にも留めていなかったのだけど、最近お熱です。
いろいろな心境の変化などもあり、最初は“ちょっと気になる”程度だったのに気づけばM型の情報を儀式のように追い続ける日々です。
ただの微熱かと思ったら思いもよらず高熱です。
なんだか季節の変わり目って危ないんですよね、体調も物欲も。

まずは、なぜ気になってしまったのかというお話から。
ずばり目の老化です。老眼と液晶の光が辛くなりました。
Leica Q2と戯れる時間はわたしにとっては特別で、ワクワクする大切なひとときです。でも最近、EVFをのぞいた瞬間に『まぶしっ!』ってなって、目が一歩引くんです。ピントも合ってるのかよく分からなくて、目のほうから『今日はそういう日じゃない』と言われてるみたいで。楽しいはずなのに、目のご機嫌を伺う感じ。
Leica Q2と遊ぼうと思っても「ああ、今日の目の調子じゃ見えにくいかも」とか「ピント、外しちゃうかも」なんて。
だからといってQ2で写真が撮れないわけではない。むしろ何でも撮れちゃう完璧な子。
完璧に写すQ2に応えたくて、こっちも真剣にピントを合わせたくなる。だけどふと不安になるの繰り返し。でもQ2はそれでも完璧に応えてくれる頼れる相棒。だからこそ少し悲しくもなります。
そこで気になってしまったのが、レンジファインダー。ピントを外しても、それすら味になる世界。M型ライカといえば、あの伝統的なレンジファインダー方式。二重像をピタッと合わせてピントを取るというあの方式。
カメラ好きなら一度は憧れるけど、老眼問題が切実な年頃にはなかなか敷居が高い。老眼とレンジファインダー、どう考えても相性が悪そう。
むしろ戦いなのでは?と思っていた。
でも「のぞいて撮る」はやめられない。
という感じで今レンジファインダーに惹かれ始めています。

そこである日「試してみるだけなら」とお店に寄ってみた。実はM型体験は2回目。1回目は2年前にライカ京都店で。今は2年前よりも明らかに老眼が進み、それに加えEVFを見るのも辛くなってきた。
ちょっと緊張しながらLeica M11Pを手に取り、そーっとファインダーをのぞく。
……ん?あれ?見える。しかも、思ったより全然いける。思っていたほど、二重像が近くなかった。合わせるのもそこまで苦じゃない。
むしろ、「ん〜、ここかな?」と微調整していく作業がちょっと楽しい。
そんなに目を凝らさなくても、「あっ、これは合ったな」ってわかる瞬間がちゃんとある。それにEVFより目が疲れにくいかもしれない。
明るい画面をずっと見続けるより、自然な光で覗けるファインダーのほうが、目にやさしそう。
目やさしいM型。なんか語呂もいい。
ピントを合わせながらふと思った。あぁ…シンプルだなぁと。
機能盛りだくさんのカメラだと、あれもこれもと欲張りになってしまい撮りたいものを見失うこともある。その点、できることが限られているM型は、「撮ること」に集中できるのかなと。(愛でる専門)
老眼でレンジファインダーは無理、と思っていたのに、まさかの「目に優しいM型」という感想にたどり着くとは。なにがあるかわからない。

その帰り道、カフェに立ち寄って、ぼーっとコーヒーを飲みながら考えた。
「やっぱりM11、いいなぁ」と。
けれど本体を買ったら終わりじゃない、むしろ始まり。その先には“ズミルックス”とか“アポ”とか、やたらかっこいいワードたちが脳内をどんどん占領してくる。
気になりだしてからたくさんの情報を目にしてきたけど、M型ライカは、「時には厳しく、完璧じゃないそのズレさえも「写真」にしてしまえる懐の深さ」を感じ、愛機のLeica Q2は「どんなときも静かに寄り添ってくれて、こちらが迷っていてもちゃんと応えてくれる優しさ」がある。
完璧なカメラと、不完全さを許してくれるカメラ。どちらにもそばにいて欲しい…なんてね。
最後は「冷静な自分」と「勢いで買いそうな自分」の二重像を合わせてシャッターを切るだけだ!(意味不明)
老眼問題さえクリアになったとたん、気になる存在どころか、もはやお迎えを前提に現実的な検討フェーズ。
怖いですね物欲って笑
Q2使いの方達がM型に行っちゃっても、平気だったのにな。
