「なんでこんな何気ない写真なのに、あのときのすべてが思い出せるんだろう」
断捨離をしていて見つけた子供の頃の写真。
それはただの日常を撮った写真で、キッチンに立つ祖母の後ろ姿だったり、撮られることを意識していないピンボケ写真とかなのだけど、匂いや音や声まで蘇ってきて、泣きそうになった。
今になって大事に思えるのはこういう写真。
それからちゃんと「記録」として写真を残しておきたいと強く思うようになった。
作品じゃなくて、人生のスナップ。
これからはそういうのが撮りたい。

50歳になり、これから先どれだけ思い出を残せるかを考えると、あれこれ考えるよりシンプルに撮りたいという気持ちが強くなる。
そんな中でM型ライカに心を奪われるようになったのは、そのシンプルさと潔さに惹かれたから。
もちろんレンジファインダーという、あの独特な使い方に憧れはある。
それ以上にカメラがとてもシンプルで、シャッターを切るたびに「今、撮った!」という感じが好みだったりする。(想像)
もちろん、まだM型ライカはない。
使い方はいろんなところで見聞きしたのと、2回だけ触らせてもらったことがあるだけ。
だから、ほぼ未体験。

他の写真家さんやレビューを見ていると、その「手ごたえ」こそが魅力だと感じてしまう。(らしい)
さらに、自分の目で直接見る感覚が大切だという話もよく耳にする。
例えば、萩庭桂太氏がライブ撮影でM型ライカを使ったときのエピソード。
「写真を撮りに行ったという記憶ではなく、ライブを見に行ったという記憶になった」
と語っていたという話がすごく刺さった。(動画の最後に話しています)
ファインダー越しにちゃんと現実を見その瞬間を生きる感覚。
撮ることに集中するんじゃなくて、ちゃんとその場にいるっていう感覚。
写真を撮ることで、むしろ“記憶が濃くなる”っていいなと思った。
撮るためのカメラじゃなくて、“残すためのカメラ”。
これはわたしのためのカメラでは??と錯覚してしまった。
今はそんな相棒が欲しい…
な~んて、「人生のスナップを撮りたい」とか、それっぽいこと言ってるけど、正直なところ、ただLeica M11Pが欲しいだけ。
あのシャッターフィーリングを感じたいだけだし、あの塊をポケットにねじ込みたいだけだし、美しいエングレービングを眺めたいだけ。
つまり、人生のスナップうんぬんは、全部めちゃくちゃカッコいいこじつけです。
でもまあ、こじつけるくらい好きってなんかいいよね。
そんな感じで、今日も元気です。